町山智浩さんと菊地成孔さんのビーフで話題の『セッション』を見てきました。その率直な感想を書こうかと思います。先に結論から申しますと、内容は簡単で誰でも楽しめるタイプの作品なのですが、なかなか考え深くて面白かったです!
重い空気感にザワザワ
この映画はざっくり言うと、音楽大学を舞台に主人公ニーマンが、講師となるフレッチャーに理不尽にひたすらしごかれまくる内容になってまいす。
そのしごかれているシーンを見ていて、昔在籍していた会社のことを思い出しました。その会社では、毎朝朝礼で前日の成果とその日取り込む業務の内容を共有します。
そのときの上司が超怖くて、成果が悪いとつめ、取り込む業務の内容が効率悪いとつめ、共有内容をうまくまとめていないとつめ、しかも朝からよくそんな声がでるもんだなと、思わせるぐらい大声で。朝礼が朝から夕方まで終わらなかったという噂も耳にしたりしました。
その恐怖の朝礼と空気感とフレッチャーのレッスン時間での空気感が、自分の中では一致してました。
過度な緊張感、さまざまな地雷が用意されていたり、ほかの人がつめているとき不意をついて質問してきたりするので気が抜けなかったり、その光景が客観的に見ると少し野暮だったりして。
まぁ今だから笑えるんですが、「セッション」の重い空気感はそんな上司を持ったことがあり、その経験が笑えるぐらいなっている人は、そうそう、これこれ、あるある!と楽しめると思います。
「ポジティブ」に対する同調圧力に中指を立てる!
メディアでは、○○ハラスメントという言葉が量産され、他人に圧力をかけるという行為に対してうるさくなってきている昨今。
また、ネガティブな本音をぶつけづらい世の中になってきており、SNSなんかでも気を使って投稿している始末。
ポジティブな投稿ばかりしている人は本当にそんなことを毎日思っているのでしょうかと…どことなく気持ち悪い感覚を持っていませんか?
自分は若干ね、若干ですよ。ほんの少しだけ思ってたりしているのですが、そんな世の中に「ふざけんなー!!!」というフレッチャーの姿勢は、爽快感はあったのはたしかだと思います。
物語後半、フレッチャーがニーマンに対して、しごきをする理由が語られるシーンがあります。
その理由は、褒めて伸ばすことの否定であって、そこそこのところで「GOOD JOBだ!」と言って、その成果に甘んじてしまい、その結果偉大なる天才をつぶしてしまうことが最悪なことだと。
この考え方は、やはり今のマネジメントの考え方とはまったく逆のこと言ってますよね。
最近読んだピクサーのエド・キャットムルが書いた『ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法』でも、ブレスト会議のときは、我が強く高圧的な人物は、会議に出席させないことが大事だと書かれていました。
ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法
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正直、答えなんてものはありませんが、いろいろ考えるきっかけになってのはたしかです。まぁ個人的には、フランクな環境で成果を出すってのが最も理想だと思います。
音楽に救われる
音楽に救われる!っていう物語はわりかし多くて、彼女に振られた次の日、クラブなんぞに行って、酒飲んで踊っていたら元気になったみたいなチンケな経験をしている自分にとって、大好物なジャンルです。
例えば、黒沢清の『トウキョウソナタ』なんて映画はラストはそんな展開だし、今放送中の京都アニメーションの『響け!ユーフォニアム』でも、そんな空気にビンビンです。
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『セッション』のラストシーンはかなり爽快感があるのだが、かといって見た後すっきりはしない映画です。それは普通にわかりやすく音楽に救われるお話ではない。
主人公ニーマンの努力や葛藤を見てきて感情移入をして、「なにくそ!」とヤケクソになって限界を超えた演奏に対してエモーシャルに感じるし、グッときた。
しかし、最高の演奏だとか伝説のライブとか評価され残るものではなく、映画内の世界ではまったく評価されないものになっていたかと思う。
音楽により心が救われた、音楽の本当の楽しさを知った、とかではなく最終的に音楽に囚われてしまった。音楽でおかしくなってしまった。そんなラストは『機動戦士Ζガンダム』のカミーユ・ビダンの最後のようで、ちょっと切なかったです。