いきなり、釣りっぽいタイトルごめんなさい。
何でもちょっと新しいな!?これは思ったら「ネオ」つけとければいいって風潮、ダサい!と思っていたのですが、わかりやすい、ちょっと気になるようなタイトルを考えて、こうなりました。ボキャブラリーのなさ、申し訳ございません。
そんなボキャブラリーのないさえない自分とは違って、町田洋の漫画はとてもさえている。キレキレなのだ。
町田洋と言えば、電脳マヴォに掲載した「夏休みの町」が今年の文化庁メディア芸術祭のコミック部門の新人賞をとったりと、じわじわきている新人漫画家さんです。そんな「夏休みの町」も掲載されている「夜とコンクリート」という漫画短編集がとても素晴らかったので感想書きたいと思う。
空気のような漫画も描けるし、物語も描ける
「夜とコンクリート」もそうなのだが、町田洋の漫画は、ただの日常漫画ではなく、そこにSF的な不思議を設けてくれるのだ。そして、日常の中にちょっと不思議なことをあっさりと投げっぱなしだったり、最後まで突き詰めてくれたり、これがどっちとも気持ちがいい。
「夜とコンクリート」のタイトルのお話が、投げっぱなしのほうで、建物の声を聞くことができる男と出会った建築家の男が、半信半疑にそうなのかもしれないなぁ、と終わっていく。この不思議を白黒つけないで、ぼんやりと終わっていく余韻がなんとも気持ちがいい。
「夏休みの町」は最後まで突き詰めてくれる話で、余暇を持て余している夏休み中の大学生達が、花火を見ながらBBQをしようと、眺めのよい丘に行くと怪しいお爺さんに出会う。そこから、話が進んで行き、最後には押井守の「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」みたいなSF大作のような展開になっていく。
ぼんやりとした空気のような漫画も描けるし、物語も描ける。ここが町田洋の漫画の素晴らしいところのひとつだ。
にじみ出る生活感、これこそ日常
町田洋がどんなにハードなSFを描いたとしても、日常漫画のように読めると思う。日常感というか生活感がにじみ出ているのだ。
登場人物がどんなに不思議な設定の世界でどんなに難解は話をしているとしても、自分達が普段から、やっていることが描かれている。
「夜とコンクリート」でも、飲んでいた缶ビールを料理の隠し味に使うし、二日酔いの朝にだるそうに歯を磨くし、電話中で顔と肩で電話をはさみながら、コップにスポーツドリンクを注ぐ。
この生活感こそが、町田洋の漫画の魅力のひとつだし、例えどんなに荒唐無稽な話だったとしても、自分達の生活とどこかつながっているような感覚になれるのだ。
うまい!と唸らせる青春感
町田洋は青春がうまい!
くぅ~、帽子が邪魔でキスできなかったってかー!
このとおり、男女感の青春ももちろんうまいのだが、仲間と掛買いもない時間を過ごしたという描写もうまい。
「発泡酒」では、「音楽を作ることは俺のすべてだ」と言っていた友人と、プチ同窓会的な飲み会で会う。その友人がもう音楽をやめてしまったことを知り、ちょっと寂しくなる話だ。
これと似たようなことを誰もが経験したことがあるかもしれない。たしかにこういうのって本当に寂しくなるだよなぁ。スチャダラパーの「喜怒哀楽」でもこんようなリリックがあったっけ。
そして、こんな青春の要素を、浅野いにおのように主観で語るのではなく(浅野いにおの主観っぽいドロドロした感じも好きですよ)、誰でもない視点、神の視点っていうのだろうか、その視点から見た青春物語は過ぎていく季節のように、やってきたは去っていく(くさいね)。したがって、青春に対していい距離をとって、とってもクールな印象が持てる。読んでいても恥ずかしくなれない。
実は「映画けいおん!」の卒業式のシーンも、こんなあっさりした演出が光っているので見てほしい。
とにかく、こういう青春漫画で描く人はあまりいないと思う。
苦し紛れのネオ日常系漫画の定義
町田洋の漫画の魅力を「夜とコンクリート」をつまみながら、解説してきたが、最後にネオ日常系漫画とタイトルに書いてしまったので、思いつきでわりかし適当だが、その定義をしてみたいと思う。
「劇的なストーリー展開を極力排除した、登場人物達が送るゆったりとした日常を淡々と描写するもの」とそう書いてあったので、そのような漫画を日常系漫画と定義をする。
ネオ日常系漫画は、「劇的なストーリー展開をしつつも、にじみでてくる日常感や生活感で淡々とすごしている感が出ているか、日常感がありつつも蓋を開ければ劇的な話だった漫画」と定義してみました。(「夏休みの町」はこれ。ほかの話は、微妙かも。)
こーいう作品はたくさんあるよ!別に新しくない!ジブリだってそうじゃね?普遍的な良い物語は案外そんな感じじゃね!?とか思えてきた。
そして「ネオ日常系」という言葉も気になってきて、ぐぐったらやっぱりあった。
「何も起こらない日常を描く」のが日常系アニメだといわれているが、これまでの作品はそれでも何かしらの事件が毎回描かれて、それなりに起承転結がついていたといえる。が、今年放送された日常系アニメは、輪をかけて何も起こらない作品が存在感を放っていた印象だ。とにかくキャラクターの魅力を掘り下げて、登場人物たちの情緒を丁寧に描くことでなんともいえない感動をもたらすこれらの作品は、言うなれば「ネオ日常系」
自分のまったくの逆の使い方でした。ネオ日常系という言葉が、現在よく使われているのか、今後使われるのかよくわかりません。
…とまぁノリでつけたので厳しい感じになっちゃいました。冒頭で述べたとおり、新しいと思ったらなんにでも「ネオ」とはつけちゃいけないなぁと今回のエントリーで教訓を得た次第でした。
とにかく、町田洋「夜とコンクリート」は、良い作品であることはまちがいないです。ちょっと疲れて気晴らししたいときには、とても良い漫画です。