4月後半になり、もう1ヶ月ほどほとんど家にいる。
朝起きて、子供を起こして、朝ごはんを食べて、ラジオ体操して仕事に入る。
仕事の余裕があるときは子供と妻と庭で雑草を抜いたり、虫を探したりしている。今日なんか板をひっくり返したら、今までみたことのない数の蟻を見た。すごい密度で本当にびっくりした。発見はみじかにもあるなと。
その後、妻の作ったお昼ご飯を3人で食べて、子供は昼寝。
また仕事に戻って、腰が痛くなったら立ち上がって後屈をする。眠くなったらちょっと横になったりする。
ミーティングはSlackのWEB会議ですます。あまり喋ったことがないメンバーとの人ともフランクに話せて、こっちの方が会うよりもコミュニケーションがうまくいくなって人もいた。
おやつの時間に子供を起こして、たまに子供の動物フィギアを使った人形遊びに付き合ったりして、夕方になる。
仕事を済まして、妻の作ったお昼夕ご飯を3人で食べて、ビールなんか飲んだりすることもある。
またUberEatsがやっと住んでいる街にもやってきて、利用する時もある。アプリで注文したあと、配達する人の現在地が地図上に表示されるのだけれども、これが段々と家に近づいてくるのが、ちょっと恐怖に感じる。何でだろ。
夕食のあとは、google homeで適当にテクノをかけて、ダンスをする。これがちょうどいい運動になる。子供も喜ぶし、妻もそれなりに楽しそうだ。
その後、子供のウンコを見守って、一緒にお風呂に入る。お風呂に入れた後、妻が絵本の読み聞かせるところを横で見る。たまにスマホを見ちゃって、注意されたりする。ちなみに子供は「わたしはあなたをあいしています」という絵本が好きなのだが、絵本にしてはすごい文字量で、「わたしはあなたをあいしています」を読んでってなるとちょっとうんざりする時もあるみたい。はじめて自分が読み聞かせしたときは、結構酷いラストに悲しい気持ちになった。
子供を寝かす前は、自分はゴリラを真似をして「ウー、ガオー」とか言って、子供のご機嫌をとる。これが意外と子供が気に入っているらしく、納得して寝てくれる。
その後は自由時間。Amazonプライムを見たり、活字の本や漫画を読む。
AmazonプライムでNHKの有料チャンネルに入ってて、海外で著名の経済学者や哲学者がアフターコロナのことについて話す番組があって「新自由主義の終焉を迎える」とか「テクノロジーがもっと浸透していくきっかけになるが、その土俵にはちゃんと倫理がないといけない」みたいな話をしていて、ちょっと前に簡単な経済学の本を読んだり、哲学の本を読んだりしていたので、すんなり耳に入ってきた。こういうのは地味に嬉しい。
活字の本はUXデザインの本だったり、ジョブ理論の本だったり、これは転職後にも活用できそうな知識を得るため。また「暇と退屈の倫理学」という本がなんともタイムリーでSTAY HOMEなんて言われている昨今で、家にいて暇や退屈していることが、何だかいけないことに感じてしまうのだろうということを、歴史や哲学などで紐解く本で、とても勇気付けられる。
漫画はちょっと逃避できるような昔の時代を舞台にした漫画を読む。昭和から平成を舞台にした「冬物語」という注文した。作品に描かれる使い古したステレオタイプ感だったり、ちょっと今の感覚とずれている行動や言動が面白かったりする。あとファッションや背景の街も。
そのあとちょっとした筋トレをして、体を疲れさせた後に床に就く。
少し前とくらべて生活は変わったと思う。満員電車に乗らなくなったし、仕事のコミュニケーションも変わった。子供が目の前で粘土遊びをしているところを視野の端で確認しつつ、デザインをしていたりする。まぁこれは運良くIT系の仕事をしているので恵まれてると感じている。
そして、とにかく人と合わなくなった。しかたなくzoomなどを使ったオンライン飲み会で友人と話せたりしているが、少しさみしいものある。やっぱ本物を飲み会の楽しさを超えていないし、課題が多い。
現状の数値やニュースを見たり、専門家の意見や聞いたりしていると、なんか今の状況がそれなりに長くなるんだろうなぁってことは実感してきた。どんな世界が待っているのだろうかという不安はある。ちょっと前にあった平坦な日常が戻って来ないかもって気持ちもある。でもその日常の中にも面倒臭かったり、うんざりするようなシステムもあったので、それだけはこの期に無くなって欲しかったりする。
そんな感じでずっと家にいるので、今年のお花見は「どうぶつの森」で済ましちゃったけど、来年もしくは再来年ごろには、本物の桜の下で本物の人と乾杯をしたいなと願っている。これだかは無くなってほしくないなーと。